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〒440-0804 愛知県豊橋市呉服町61
江戸時代の享保年間、八代将軍徳川吉宗の殖産政策の一環として吉田藩の藩命により製糖
を命ぜられました。当時の工場の棟瓦に享保十九年(1734)寅の九月甫と記されており、
それから数えて今日で十代になります。
東海道の要衝に位置する吉田藩に訪れる参勤交代の諸侯に供する御菓子箪笥御用を受け賜
り又、煎茶道売茶流の売茶翁の指導を受けた二代目 神戸藤次郎が考案した「玉霰」を有栖
川宮家に献上したところ、鷹司宮家より名誉ある「御菓子司」を允許されております。
各所神社仏閣の御用も承り中でも三州豊川稲荷様の御供物、御茶菓子の御用は天保年間よ
り承っており、江戸時代、寒天羊羹が一般化してからは、羊羹・打ち物菓子を主力に今日に
至ります。
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1 振り出し口のついた玉霰の木箱
2 工場の屋根瓦
自家製餡など素材の風味を生かすべく、手間を惜しまず、原材料を厳選し、シンプルに本
物を求める製造につとめております。
「豆の顔を見て、餡から自分で作れ」
ずっと守り続けている先代からの教えです
すべての餡の素になる漉し粉は、厳選した北海道産小豆を焚き、豆の風味を残すべく粒子
を壊さないように仕上げた自家製の物を使用しております。
羊羹は職人が、釜から離れず、火の調節をし、じっくりと丁寧に練り上げております。
練り上がった羊羹は型に流し込んで一週間程かけて、納まるのを待ち、流した羊羹の上澄み
と四隅を切り落とし一棹ずつ切り分けることで角の立った羊羹になります。